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これで駄目なら受験やめたる!〜現役高校生の孤軍奮闘記〜

現役の高校生が実に生々しい結果を晒しつつ、現役合格を目指すブログです。

論説を読む

「国語ってフィーリングで行けんじゃね?」

そう思っていた時期も、私にはありました。

 

さて、突然ですが質問です。私はこれから、何を言おうとしているでしょうか?

何となくではあっても、答えは分かっていらっしゃるのではありませんか?「あー、今から国語はフィーリングでやったらダメっていう話でもするんかな。こないだ先生も言ってたし」という風に。もちろん正解です。国語はフィーリングでやると、もれなく死にます。ではどうすれば良いかと言いますと、やはり文章に線引きをすることが常套手段でしょう。すでに多くの人が実践していることかと思います。


しかし、引いても何のことやらサッパリ…なんてこともしばしば。逆接は△、順接は▽など、自分で記号を持っている人も多いでしょうが、これをやっても結局設問にはキチンと解答できない。それでは意味がありません。ある意味、線引きという攻略法の限界が見えますね。

そこで登場するのが、論説を読む際に真っ先に捨象した「フィーリング」。そう、あなたがこの文章の冒頭で立てたような『予想』のことです。「この言い回しだったら何となく次は逆接かなー」というアノ感覚です。これは大事にしたほうが良い。線引きをして難解な語彙のラビリンスに迷い込むよりはずっと効率的な読解法です。

もちろん、主軸は線引きによる論理的考察です。しかしこれに頼りすぎると足元を掬われてしまいます。特に接続詞の「しかるに」が出てきたら、もうフィーリングに頼るほかはありません。なぜなら「しかるに」には順接・逆接・閑話という3つの意味があるのですから。しかも厄介なことに、この接続詞は格調高い文章(ちょっとレトロな感じのする読みにくい文章)に多く使用されています。

 

また、論説を読むにあたって重要なのが「パターン」です。たとえば西洋と東洋の対比。

西洋は自然を征服するが、東洋は自然と共生する。
西洋は完全を好むが、東洋は不完全を好む。
西洋は客観性を求めるが、東洋は主観性を求める。

このパターンがきたら、大概は東洋に重きを置いて話が展開されていきます。著者が日本人の場合は特に。


もう1つ例を挙げるとすれば、科学と技術と人間の話。

人間は、科学によって技術を進歩させてきた。
技術こそが、科学を進歩させたのでは?
科学を極めすぎると、技術が肥大化する。
現代技術は、とても人間の手には負えない。

このパターンがきたら、大概は科学や技術に対して否定的です。自然破壊を筆頭に、具体例がいくつか挙がるはず。


しかし、このパターンを構築する際には気をつけなければならないことがあります。それは「例外」です。やはりどんな規則にも例外というものはつきものですから、一概にこうだなどと決めつけて読むのは早計というものです。また、設問によっては作者が軽視している部分を答えさせる問題もあります。「◯◯ではなく△△」と答える問題も珍しくありません。そこは字数と相談しましょう。

 

…いかがだったでしょうか。勢いで書いてしまったので呂律が回っていないかもしれないのですが、悪しからず。